ここ数年、出版不況を反映してか出版社から写真家に不利な契約を一方的に押し付けられるケースが増えている。
著作権を出版社に帰属するという契約、通常の一回使用権を拡大し使用権を出版社側に帰属するようにし、無料で自由に使用できるとする契約、出版社がデジタル化したデータを第三者に貸し出し、出版社側が五割もの使用権料や手数料を徴収するというものなど様々である。なかには契約内容そのものが「守秘義務」であるとする契約書まで存在する始末。
大手出版社においてもこの例外ではなく、デジタル時代の到来を反映し電子メディアへの利用、公衆送信権などといった用語が並べられた契約書を一方的に提示され署名捺印することを求めらる。
「小学館サライ著作権侵害裁判」は、このような状況の中で引起された悪質な著作権侵害事件であり、「写真使用契約書」がすべての始まりだった。
「納得できないけれども、この契約書にサインしなければ仕事がなくなってしまうかもしれない」という写真家の心理につけ込んだ巧妙な一種の踏絵のようなものともいえる。
原告も5年間ほど継続的に仕事依頼を受けていた小学館サライ編集部から、撮影したオリジナルポジをデジタル・データベース化しフォトエージェンシー業に利用するという契約書を提示されたのだが、出版社にかなり有利な内容となっていた。担当者は「契約は写真家の自由であり、契約有無で(サライの)撮影依頼は左右されない」と明言したため、この契約を断ったのだが、実際にはその4ヵ月後からは仕事の依頼は全くなくなり、経済的にも大きな打撃を受けた。
サライの企画に原告を推してくれたライターに対して、この担当編集者は「いやぁ~、今回は別のカメラマンを考えていたんだけれども…」「(著作権)にうるさくない人をお願いします…」などと語ったという。
考えようによっては、それだけ出版社側にも写真家の権利というものが理解され浸透してきたともいえ、これまで「通例」と言う曖昧だった約束事を写真家と出版社が契約書を交わし明文化するということ自体は歓迎すべきことだろう。
しかしながら現実は前述のように、出版社側とってに都合の良い「契約書」という名の「踏絵」が一方的に提示されているのが現状で、苦しい台所事情の出版社側がなりふり構わぬ行動に出たともいえる。