マックス・フェルスタッペン、F1ドライバーズチャンピオン4連覇で報じられた懐かしの名前、アラン・プロスト

撮影:1989年10月22日 鈴鹿サーキット セナの失格で3回目のチャンピオンとなったアラン・プロスト(Alain Prost)

撮影:1989年10月21日 鈴鹿サーキット メインスタンド前を疾走するアラン・プロストのマクラーレンMP4/5今週は中東カタールで2024年F1第23戦が開催されているが、先週のラスベガスGPの決勝ではメルセデスのジョージ・ラッセル(George Russell)が優勝したが、5位フィニッシュしたレッドブルのマックス・フェルスタッペン(Max Verstappen)、4度目のF1チャンピオンも決まった。

motorsportのサイトでは『“プロフェッサー”プロストに肩を並べたフェルスタッペン。偉大なる「4度のF1チャンピオン」は史上6人目』とのタイトルで報じられ、懐かしい名前を思い出させてくれた。
アラン・プロスト(Alain Prost)が3回目のチャンピオンとなったのは1989年の日本グランプリで、アイルトン・セナ(Ayrton Senna)と激しくチャンピオン争いとしていたのだが、残り6周となった47周目にシケインで先行するプロストにセナのマシンが接触しプロストはリタイアした。セナはマーシャルの補助でコース復帰し、トップでチェッカーを受けたものの、「シケイン不通過」の違反でセナは失格し、プロストのワールドチャンピオンが決定した。

撮影:1989年10月20日 鈴鹿サーキット パドックでモニターを確認するアラン・プロスト私が唯一F1を取材したのが1989年で、TOPの写真はその時に撮影したものだ。昨年、偶然セナとプロストの確執に焦点を当てたドキュメント動画を観たのだが、その中でワールドチャンピオン決定時の鈴鹿サーキットでモータースポーツジャーナリストの川合一仁氏らとプロストを追いかけるオイラの姿が写りこんでいたのだが、残念ながらフランスのテレビ局の著作物なので公開はできない
なお、シケイン不通過したセナが本部に異議申し立てを行い、各国記者の取材を受けたのちに原付バイクでパドックを去る時の様子は当サイトで2024年5月2日付で紹介している。


タイトル写真説明
撮影:1989年10月22日 鈴鹿サーキット
セナの失格で3回目のチャンピオンとなったアラン・プロスト(Alain Prost)


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“プロフェッサー”プロストに肩を並べたフェルスタッペン。
偉大なる「4度のF1チャンピオン」は史上6人目

https://jp.motorsport.com/f1/news/f1-four-times-champion-gallery/10676310/