プレジデント社が発行するダンチュウという雑誌の1991年11月号に「苫小牧市の東のはずれの勇払という街に評判のラーメン屋がある。苫小牧東部開発の影響で取り残された格好になってしまった人口わずか3900人の町にありながら、1日平均150食は出るという。しかも、営業時間が午前10時半から2時間半というから驚きである。」との書き出しで「鳥よし」を紹介する記事が掲載された。
私は、遅い夏休みを利用して当時問題となっていた千歳川放水路計画の取材で苫小牧に帰省中だったのだが、創刊2年目のdancyu(ダンチュウ)編集部から苫小牧のラーメンを取材して欲しいとの連絡が入り、編集者と相談の上、勇払の「鳥よし」と室蘭の「なかよし」2店を取材することとなった。取材原稿も書き、自費取材だった旅費等を補うことができた。
大元のデータ原稿はもちろん私の著作物ではあるものの、掲載された原稿はさすがに専門家によるリライトされたもので少ない文字数で見事にまとめ上げていることに感心したのだった。
店名がおおよそラーメン屋らしからぬ「鳥よし」との名称なので、帰省した折に何度か食していた頃は白濁した鳥白湯スープなのだろうと勝手に思っていたのだが、この日の取材で「「少量の薄口醤油を使った豚骨スープ」であることが判り、ショックを受けた記憶がある。
しかも1989年に引退した初代店主の成田さんがこの地で創業したのが1954年(昭和29年)頃とのことだから、開店当初は地元の人の口に合わず、旧満州からの引揚者たちが食べてくれるだけだったという。
博多ラーメンや熊本ラーメンなどの九州ラーメンが東京で知られるようになったのは1970年代中頃からで、博多ラーメンが全国区となるにはさらに時を経た1980年代後半から1990年代になってからなのだから無理もなかったのだろう。
もちろん、豚骨のスープと言っても、九州ラーメンや近年の豚骨醤油ラーメンとは一線を画す唯一無二の存在だ。特にスープの口当たりが独特で優しい味だと言える。
何故豚骨ラーメンなのに店名が「鳥よし」なのかについては1991年の取材時、二代目を引き継いだ初代の娘・奥谷さんから初代が大阪で修業した店が「鳥よし」だったからという単純な理由だったように記憶している。(確かに大阪難波には鳥よし本店という和食店があるのだが…)
勇払の地で二代目を引き継いだ奥谷さんだったが、父親は何も教えてくれず、父の手伝いを14年間続けながら味と仕事を盗んで店を引き継ぎ味を守ってきたが、体力の限界を感じ2017年11月末で閉店に至ったとのことだ。閉店したことを知ったのはつい最近の事で偶然、下記苫小牧民報の記事を読んだことによる。
苫小牧民報2017年12月1日の記事によると、麺を卸していた製麺業の苫食が味を忠実に受け継ぎ、事業を継続することとなり苫小牧市の東のはずれから西のはずれに近い澄川町に「三代目鳥よし」をオープンしたとのことだ。
久々に帰省した先月、札幌在住の弟とともに澄川町にできた鳥よしの後継店「三代目鳥よし」でラーメンを食したが、独特の口当たりの優しいスープは健在だった。
自然光で撮影したため、きちんとライティングした1995年撮影のTOP写真や1991年取材時の大盛りチャーシューメン写真(ポジフィルムをデジタル化)と雲泥の差があるのはご勘弁を…。
タイトル写真説明
苫小牧市勇払「鳥よし」のラーメン 取材時(1995年12月9日)当時の価格は450円
※ダンチュウ取材時(1991年9月3日)時点ではラーメンは400円だった
講談社 フライデースペシャル取材時の写真
1995年12月9日撮影
■老舗の味を継承します 澄川町に後継店「三代目鳥よし」
苫小牧民報記事 2017/12/1配信
https://www.tomamin.co.jp/news/main/12719/