かつてのF1中継はフジテレビ系の地上波で深夜に数時間遅れで放送されていたのだが、それも今や昔。
フジテレビでも衛星放送でF1は中継しているものの有料放送で、ネットで見られるDAZNもかなり高額な視聴料となっていて、無料で見られた時代が懐かしい。
数年前までドコモユーザーはDAZNを月980円で視聴することができたのが、翌年から値上げが続き現在では月3,700円。スカパーのフジテレビNEXTライブ・プレミアムでは先日1,320円から1,980円に値上げとなったばかりだ。
スポーツ好きであれば十分元が取れる視聴料なのかもしれないが、スポーツを一切やらず、F1以外のスポーツ番組は無料であっても一切観ないを徹底しているオイラにとっては贅沢過ぎる視聴料にまで高騰してしまったと言える。
さて、30年前の1994年5月1日、F1サンマリノGPの決勝はイタリアのイモラで行われたのだが、その日の放送は”音速の貴公子”と呼ばれていたアイルトン・セナ(Ayrton Senna)が大事故に巻き込まれて病院に搬送されたとのショッキングなオープニングだったことを記憶している。
この年のセナはホンダエンジンとともにマクラーレンチームで3度のワールドチャンピオンに輝いた後、1992年でホンダがF1撤退後、フォードエンジンとなったマクラーレンチームに在籍していたものの、1994年からはアラン・プロストと入れ替わる形でウィリアムズ・ルノーチームへ移籍した直後だったが、前年まで認められていたアクティブ・サスペンション等のハイテク制御が禁止となったため神経質なマシンにこのグランプリでも相当苦しんでいたようだ。
F1サンマリノGPの決勝ではトップを走行していたセナがタンブレロ・コーナーでコースアウトしコンクリート・ウォールに激突、34歳の若さで死亡した。
セナの死からちょうど30年目のこの日、奇しくも1強状態のレッドブル・ホンダ、最高技術責任者であるエイドリアン・ニューウェイ(Adrian Newey)が2025年の第1四半期でチームを去ることをこの日に発表している。
セナが駆った悲劇のマシンと呼ばれているWilliams-Renault FW16をパトリック・ヘッド(Sir Patrick Head)とともに設計したのがニューウェイだったが、セナの死の30年目の発表は何かの因縁か?
私がアイルトン・セナだけでなくF1を撮影したのは1989年に鈴鹿サーキットで開催された日本グランプリのみだ。
1989年のF1日本グランプリ決勝(10月22日)でレース後半、残り6周となった47週目の最終シケインでマクラーレン・ホンダチームのアイルトン・セナが年間チャンピオンを競っていた同じチームのアラン・プロストと接触、セナは「シケイン不通過」のレギュレーション違反により失格となり、プロストが暫定でワールドチャンピオンとなった。
上記写真はレース後、セナが本部に異議申し立てを行い、各国記者の取材を受けたのちに原付バイクでパドックを去る時の様子。
前年の1988シーズンはマクラーレン・ホンダのMP4/4全16戦で15勝を挙げるという圧倒的な強さを見せた年で、セナがワールド・チャンピオンに輝いている。
【マクラーレン・ホンダ時代のワールドチャンピオン】
1988 McLaren Honda MP4/4 ターボエンジン セナ
1989 McLaren Honda MP4/5 自然吸気エンジン プロスト
1999 McLaren Honda MP4/5B 自然吸気エンジン セナ
1991 McLaren Honda MP4/6 V12エンジン セナ
タイトル写真説明
撮影:1989年10月21日 日本グランプリ アイルトン・セナ(Ayrton Senna)ピットガレージ内