遂に派閥解散決定の安部派「キックバック」「中抜き」パーティー収入不記載裏金は三塚派から始まった悪しき伝統?

1992年1月8日 苫小牧市、高橋辰夫新年交礼会に出席した三塚博清和会会長(右)

本日朝、増税メガネこと岸田文雄首相は官邸で記者団に岸田派を「解散する」と明言したかと思ったら、あれよあれよという間に安部派も二会派も解散する方針を表明するに至った。

そもそもは、政治資金パーティーの裏金事件が発端で、政治アナリストの伊藤惇夫氏は2023年12月14日に出演したTBS系「ひるおび」でパーティー収入不記載裏金問題に関し、安倍派の前身に当たる三塚派の仕組みが30年以上続いた1つのシステムとして、安倍派に組み込まれていた可能性はあるとと述べていた。
2017年11月5日撮影、乾杯する細田博之元官房長官(当時)また、政治ジャーナリストの田崎史郎氏は12月18日放送のテレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」で安倍派パーティーめぐる裏金問題は「森喜朗さんの時代に始まっている」と指摘している。
さらに、12月18日のTBSの報道では先月亡くなった細田博之前衆院議長が議員にキックバックの金額を伝えていたとの報道もあり、悪役の実名が次々と報じられている状態だ。

1992年1月8日 苫小牧市、高橋辰夫新年交礼会に出席した三塚博清和会会長(右)伊藤惇夫氏はパーティー収入不記載裏金は三塚派から始まった悪しき伝統と述べているが、その三塚派は衆議院議員・三塚博氏が安倍晋太郎の死後に派閥を継承し、1991年6月20日より三塚派として森喜朗氏に禅譲する1998年末ごろまでまで清和会会長の座にあった。
TOP写真左側は三塚博衆議院議員だが、左側は1000万円を超えるキックバックを受けた疑いが報じられている橋本聖子元五輪担当大臣の義兄で衆議院議員返り咲きを狙う高橋辰夫氏だ。
高橋氏は1990年の衆議院議員総選挙で落選し返り咲きのため1992年1月8日に地元苫小牧市のホテルで新年交礼会を開催したが、清和会会長となったばかりの三塚博氏と北川正恭氏の二人が出席している。
その効果があったのかどうかは不明だが、高橋氏は1993年の衆議院議員総選挙で返り咲いており、名実ともに三塚派の議員となった。
1992年1月8日 苫小牧市、高橋辰夫新年交礼会に出席した三塚博清和会会長(左から二人目)、北川正恭(左)、高橋辰夫夫妻(右)一方、義妹の橋本聖子は自民党幹事長・森喜朗の誘いで1995年の参議院議員通常選挙比例区に出馬し初当選し、翌年1996年1月7日、地元のホテルで行われた新年交礼会は衆議院議員・高橋辰夫、参議院議員・橋本聖子のダブルネームで開催された。この日の会には三塚派からは平沼赳夫衆議院議員が出席している。
高橋氏は1996年の衆院選に落選後に政界を引退し、2001年10月11日に72歳で死去したが、葬儀委員長は三塚派を引き継いだ森喜朗氏が務めている。

【撮影時余談】

ちなみに、タイトル写真をはじめ、前年に清和会会長となったばかりの三塚博氏と高橋辰夫氏の写真は1992年1月8日に北海道苫小牧市のホテルで開催された「高橋辰夫新年交礼会」で撮影した写真だ。
高橋氏は橋本聖子参議院議員の義兄であり、日本海に流れている千歳川を洪水時に太平洋に流そうとする荒唐無稽な千歳川放水路計画を強く推進していた立場であり、様々な噂も囁かれていたため、問題の政治家(この時は浪人中)の顔丸写真を抑えるため、正式な取材で撮影した写真。
しかしながら、三塚氏に同行した北川正恭氏(後の三重県知事)が写真取材中の私を人一倍シャッター数が多かったからなのか、高橋氏側の記録カメラマンと勘違いされ、様々な指示を出されてしまった。
そのおかげもあり、労せず高橋氏と三塚氏の2ショットも撮影することもできたのは良かったのだが、一緒に記念写真を撮らされたご婦人に対して三塚氏が私を指さして「ウチのカメラマンだ」と断言されてしまったのを機にそそくさと会場を後にしたのは言うまでもない。


タイトル写真説明
撮影:1992年1月8日 苫小牧市ホテルニューオージ、衆議院議員落選中の高橋辰夫新年交礼会に出席した三塚博清和会会長(右)


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