1979年、写真家・野上透氏のアシスタントとして渡航したのが4人組追放から数年しか経過していない中国だった。
大学生だった当時、もちろん初めての海外であり、2回の取材でトータル3か月ほど中国東北部と南京、蘇州、上海、紹興などをめぐり、先々で「我愛北京天安門」なる歌を強制的に聴かされたことを思い出す。
「我愛北京天安門」(ウォーアイ ベイジン ティエンアンメン)なる歌はWikipediaによると共産党のイデオロギー的側面が濃厚な曲で、中華人民共和国を創建した毛沢東を讃えた、文化大革命時代の歌曲ということだ。
初めての海外が共産主義の国だったため、我々の希望よりも共産党が取材して欲しい場所が優先され、事前に周到な準備がなされた幼稚園や小学校等を訪問した際、決まってこの「我愛北京天安門」なる歌を児童から聴かされたため、悲しいことに帰国時には自然と口ずさむことができるようになってしまい、現在でも冒頭の歌詞「我愛北京天安門」を歌うことができてしまう……。
その後の中国では、32年前の今日(1989年6月4日)、民主化を求める民衆に対して本来は市民を守るべき人民解放軍が銃口を市民に向けて多くの犠牲者を出した「天安門事件」という大虐殺に発展したのは周知の通り。
天安門事件後にも何度か中国取材は経験したのであるが、その中で2007年11月から2008年3月まで、夏の北京オリンピックに向けたレストランガイド用の写真を撮影のため4度にわたって北京取材を行った。
その際、日本の某大手出版社の現地法人中国人社員に私が「我愛北京天安門」を歌うことができことを伝えたのだが、かなり微妙な反応だったことを記憶している。
近代化が進んだ現代中国において、共産党のイデオロギー的側面が濃厚な曲が時代遅れとなってしまったのかとも考えたのだが、もしかすると「天安門」という語句自体がまずかったのかとも……、それは今でも謎のままである。
それにしても、北京を代表する一大観光地でもある「天安門」が百度などの中国国内の検索エンジンでは一切検索できないというのも変な話だ。
仮に「天安門」という語句が問題になるのであれば、大ぴらに「我愛北京天安門」を歌うことがマズイということになり、共産党イデオロギーや毛沢東をたたえることすらマズイってことになるのだが……。
習近平が実権を握ってから、独自の文化と宗教、言語を持つ民族が暮らす新疆ウイグル自治区において再教育と称した思想改革や中華民族同化政策にとどまらず、強制収容や大量虐殺まで横行しているというから深刻である。
いっそのこと、中国人には習近平に対して大いなる皮肉を込め、天安門広場で「我愛北京天安門」を大声で歌って欲しいものである。
タイトル写真説明
撮影:2007年11月17日 中国・北京 天安門と長安街