1985年8月、指揮者のレナード・バーンスタインが広島で平和コンサートを開催するということで、某雑誌の取材として広島に向かった。
40回目の原爆の日の前日、バーンスタイン氏が宿泊していた広島全日空ホテルの前で、まだ小学生だった五嶋みどりチャンとマエストロを待っていた。
この平和コンサートにバーンスタイン氏出演を口説いた佐野光徳(当時ナサの代表)さん曰く、「特写のお願いは無理だけれど、ここで五嶋みどりチャンと待っていれば必ず近寄ってきてくれるはずですので、その時に撮影してください」、と。
佐野氏の言葉通り、マエストロは「ミドーリ、ミドーリ」と言いながら小さな天才バイオリニストを抱きしめ、その後、こちらの写真撮影にも快く応じてくれたことを昨日のことのように覚えている。
撮影を終えると、バーンスタイン氏は原爆資料館を見学するということなので、記者とともにタクシーで後を追いかけ、多くのマスコミが待つ資料館前へ。
バーンスタインが残した平和へのメッセージ
並外れた感受性の持ち主のバーンスタイン氏は展示物を見て大きなショックを受け、しばらくその場で立ちすくみ、うなだれていたが、資料室の記帳に次のように書き残している。
Too many words already –
Not enough action !
Leonard Bernstein
5 Aug ’85
「言葉はもう十分だ。行動はまだ不十分だ。」
1985年8月5日 広島原爆資料館
このバーンスタイン氏の記帳したノートは、原爆資料館で展示されていたため、お好み焼きの取材で広島を訪れた際に撮影(1991年10月9日)している。
1985年8月5日に撮影した記帳の際の画像を拡大してみると、確かに同じ内容が記されており、写真はちょうど「Leonar」まで書いたところでシャッターを押したようだ。
本日、広島市で開催された72回目の原爆の日の式典で、安倍首相は「NPT(核拡散防止条約)体制の維持及び強化の重要性を訴えてまいります」と語ったのみで、唯一の被爆国である我が国が不参加を決めた、核兵器の使用や保有などを法的に禁ずる核兵器禁止条約にはダンマリを決め込み、一切言及しなかった。
そんな状況でありながら、都議選最終日の秋葉原で起きた「安倍帰れ!」コールが起こらなったのは、四面楚歌状態の安倍チャンにとっては唯一の救いだったに違いない。