「小学館サライ著作権侵害裁判」で被告小学館サライ編集長は陳述書(8頁)の中で次のような主張をしている。
「取材先には、前述のように特定のサライへの掲載を前提として写真撮影をお願いし、その許可を得て撮影をしています。取材先は、サライという雑誌のクオリティや実績を踏まえて取材を快諾してくださるのです。こうした信頼関係の積み重ねが、次のよりよい取材につながるのであって、サライ編集部にとってはかけがえのない貴重な財産なのです。」
中にはサライというブランド名で取材を快諾する場合や編集者が直接取材交渉を行った場合がないわけではないが、取材先がライターや写真家の元々の知人であったため、これまでの取材などで培ってきた信頼関係やライターや写真家の人柄で取材を快諾してもらってる場合の方が多い。
このように、サライの取材自体がライターや写真家の人脈や知識により成り立っていることが多くの部分を占め、これらはそれぞれのライターや写真家自身の「かけがえのない貴重な財産」だ。
これを、編集長という立場にもかかわらず、他人の財産を自らの財産であると主張するなどきわめて傲慢な考え方である。
ここでもまた、「お前のものは俺のもの、俺のものも俺のもの」というジャイアン的な性格が顔を出し、ポジフィルムの所有権ばかりか、ライターや写真家の人脈や知識までをも自らの財産であると主張する。
被告小学館にとっての財産は、出来上がった雑誌そのものであり、ライターや写真家自身の財産を含むものではない。もし、それらをすべて自己の財産としたいのであれば、雑誌作りにかかわるライター、写真家、デザイナーなど、すべてのスタッフを社員でまかなうべきである。サライ編集長こそ、雑誌を作る立場でありながら雑誌が「多くの人々の共同作業によって完成にいたる」ことを忘れてるのではないだろうか。