「わっぺいさん」の名で親しまれてきた作家の立松和平さんが亡くなった。知り合いの記者からの連絡で知ったのだが、多臓器不全で昨日夕方、容態が急変して帰らぬ人となった。「葬儀は近親者で行い、後日、しのぶ会が開かれる」とのこと。
これまで、立松さんとは、二風谷ダム問題、ITER問題、長良川河口堰問題、ナホトカ号原油流出事故、むつ小川原問題等の数多くの環境問題取材でご一緒させていただいたのだが、やはり一番印象に残っているのは私の郷里、北海道で計画されていた「千歳川放水路問題」の取材であろう。
「わっぺいさん」の名で親しまれてきた作家の立松和平さんが亡くなった。知り合いの記者からの連絡で知ったのだが、多臓器不全で昨日夕方、容態が急変して帰らぬ人となった。「葬儀は近親者で行い、後日、しのぶ会が開かれる」とのこと。
これまで、立松さんとは、二風谷ダム問題、ITER問題、長良川河口堰問題、ナホトカ号原油流出事故、むつ小川原問題等の数多くの環境問題取材でご一緒させていただいたのだが、やはり一番印象に残っているのは私の郷里、北海道で計画されていた「千歳川放水路問題」の取材であろう。
北海道開発局が自己保身のために(と言われていた)推し進めていた「千歳川放水路計画」は、日本海に流れている千歳川を洪水対策に名を借りて太平洋に流してしまおうという荒唐無稽の計画であった。
この計画について、ぜひ立松さんに現地を見て欲しいという地元の熱意に加え、私も別件取材で氏にお会いした折に口説いたのが功を奏したのか、立松さんの文章と私の写真とで1991年の春、講談社のフライデーから2週連続でこの問題を取り上げることができた。(この時は別々の取材ではあったが……)
雑誌発売後、記事の掲載内容に誤解があると北海道開発庁から連絡があり、編集者と担当者の説明を聞きに出かけ、官僚による巧みなウソの実態を目の当たりにするオマケがついた。
ちなみに、1996年に開催した写真展「静かな大地の妖怪」というタイトルは、この放水路問題を2週続けて講談社フライデーで取り上げた時のタイトルで、開催にあたり立松氏に使用を快諾していただいたものだ。
その甲斐あってかどうかは不明だが、1999年に千歳川放水路計画は事実上の中止となった。
近年、雑誌が環境問題取材に対して冷ややかなためか、かなりのご無沙汰をしていた中での突然の訃報、心よりご冥福をお祈りします。