規制解除の国道6号線と巨大防潮堤
写真とTEXT:加藤雅昭
※この記事は2015年4月24日発行のJPSニュース529号に掲載されたものに写真を追加し再構成したものです。
1995年1月に「活断層の上に建つ原発」という企画で福井県の敦賀半島を訪れた。活断層の危険性について質問した記者に対し、ある電力会社の広報が「そんな事を論ずることは地球が壊れることを論ずるのに等しい」と鼻でせせら笑ったのを思い出す。同年暮れに「もんじゅ」はナトリウム漏れ事故、2004年に「美浜原発」が蒸気噴出事故、2007年には中越沖地震で「柏崎刈羽原発」が火災事故を引き起こしている。幸いこの3件は大惨事には至らなかったが、たまたま運が良かったに過ぎず、原発事故は決して珍しくはない。
原発にしろ巨大開発にしろ、受け入れ側の人々は批判の目線での取材に対して「あなたたちは私たちの町の状況を理解していないから…」との返答が帰ってくるのが常だ。
2015年2月末、東日本大震災から4年を前に出版社の依頼で被災地取材に出かけた。福島県いわき市から国道6号線を北上し、国道4号線を経て宮城県仙台へと至り、再びいわき市へと戻る旅であった。
原発事故の影響で通行止めとなっていた国道6号線の富岡町と双葉町の間の帰宅困難区域を通る約14キロの区間は、規制が解除されたばかりだが大熊町の空間線量は相当に高く、二輪車や歩行者は通行できない。
人が住めないような放射能に汚染された地域が通行可能になった理由は「復興加速」だとされているが、本当の目的は「汚染廃棄物の運搬ルート確保」とも言われている。国道6号線が通る大熊町の民家の門前に設置された「バリケード」は、帰ることのできない住宅への空き巣被害防止という、あまりにも悲しい理由だ。
そのバリケードが設置された大熊町から30数キロ南のいわき市四倉周辺は津波で甚大な被害を受けた。昨年8月にリニューアルオープンした美しい海岸線を眺めることができる「道の駅よつくら港」の海側では巨大防潮堤の建設が予定されていて、完成すると完全に海が見えなくなってしまうという。
巨大堤防によって人の命と財産は守ってくれるかもしれないが、豊かな自然環境は失われてしまうだろう。防災や復興という公共事業に名を借りた官民一体となっての利権の構図が見え隠れし、20世紀の遺物ともいえる土建政治が現政権の元、完全復活してしまったように思えた。
今回の取材目的は復興の明るい兆しを伝えることだったのだが、暗澹たる気持ちで東京へ戻ることになってしまった。
被災地取材に同行した週刊現代記者・大野浩昭氏を偲んで……
(2015年7月5日急逝)