千歳川放水路計画の経緯と概要

投稿日: カテゴリー: 出版千歳川放水路環境苫東開発雑誌

asahi_graph_s.jpgアサヒグラフ「検証・千歳川放水路計画」1993年6月11日号 発行:朝日新聞社

 千歳川の中下流部、千歳市街から石狩川合流点までの約40kmの区間は、河床勾配が非常に緩い区間で、これまでたびたび洪水に襲われており、特に’81年8月上旬の記録的な集中豪雨では、浸水面積192平方km、床上・床下浸水2,676戸もの被害を出す大洪水となった。

 この洪水をきっかけに北海道開発局内部では石狩川水系洪水対策工事の一環として戦前より存在した「石狩勇払運河構想」を土台とする太平洋放水路計画(後に千歳川放水路計画と名称変更)の本格的な検討をすすめ、’84年、当時の北海道開発庁長官であった稲村左近四郎代議士(故人、後に撚糸工連汚職で逮捕、有罪となる)が北海道建設業協会後援「北海道稲村後援会」発足直後に記者会見で具体的な計画を正式に発表。

 放水路計画は工期を20~30年を要し、総工費が計画発表当時で2,000億円(現在では用地買収費を含めないでも3,000億円、一説にはそれ以上かかるとさえ言われている)を費す今世紀最大規模といわれる国家プロジェクトで、千歳川の中流部から幅400m前後、長さ38.5kmにもおよぶ放水路を掘りこんで、洪水時には千歳川の水を日本海へは流さずに太平洋へ逆流させてしまおうというもの。

 ’87年、地元のコンセンサスなしに一方的に決定されたルート上には、渡り鳥の重要な中継地点であり、’91年に日本で四番目のラムサール条約登録湿地となったウトナイ湖に80%の水を供給している美々川の源流部があるため、地下水分断による湖の枯渇や生態系への悪影響が懸念されているほか、放水路による気温の低下、海霧の進入による日照時間の減少、洪水時の濁流による漁業被害、さらには大量に出る掘削土砂(1億2,000万立方m、パナマ運河掘削土の約3分の2の量に匹敵)の処理など様々な問題点が指摘されている。

 そんな中で北海道開発庁とその出先機関である北海道開発局は公共事業の先細りから提言されている沖縄開発庁、国土庁との三庁統合論を打ち消す意味や1976年に着工したが完全に破綻した計画となってしまっている苫小牧東部大規模工業基地開発での汚名返上という意味においても一刻も早い環境アセスメント着手を目指し、地元自治体である道をも巻き込んだ形でこう着状態打開へ向け水面下で動き始めている。

 一方、他の地域の洪水を持ってこられる形となる苫小牧市、早来町などの農民や漁民、専門家による具体的な代替案を示し計画に反対する日本野鳥の会などをはじめとする自然保護団体らは、横路北海道知事が開発局にルート迂回を含む要請をした(’92年6月)ことはルート微修正による美々川への悪影響に変化がないばかりか「条件付容認」につながるとして反発を強めている。

作画と文:加藤雅昭

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