放水路ルート上の「牧場」

投稿日: カテゴリー: 千歳川放水路, 環境

bibigawa_03.jpgはじめに、誤解のないようにあらかじめお断りしておきたいのだが、ここでは千歳川放水路予定地域の土地を購入したかつての地上げ屋と放水路を推進していた元政治家との関係というスキャンダラスな匂いのする話題を取り上げるわけであるが、残念ながら真実はわからない。しかしながら、間接的であれ政治家が地上げ屋と関係があったことは紛れもないことで、どんな些細なことでも公にする必要があると考え噂話や憶測をいっさい含まない事実関係のみを報告したいと思う。

 新千歳空港から車で10分程のところに駒里という地域がある。美々川の源流部とは眼と鼻の先の場所で、美々川の保全を理由に再三千歳川放水路ルートが微調整されている場所でもある。
  そんな微妙な場所に、地上屋としてその名を世間に知らしめた最上恒産が購入注1した「最上牧場・千歳本場」がある。
  1986年7月より北海道開発政務次官に就任した高橋辰夫衆議院議員(当時・以下肩書きはすべて当時)は、地元苫小牧で千歳川放水路計画を強く推進していた。
  最上牧場は放水路ルートの正式発表の一年前、高橋氏が開発政務次官に就任した直後から、駒里の土地を買い始める。1996年現在、千歳川放水路のルートは最上牧場のすぐ東側を通過する事になっている。
  高橋議員と最上牧場が何の関係がなければ、こんなことをわざわざ報告する必要もないだろうが、高橋議員の夫人の実家である早来町の橋本牧場が最上恒産から借金をしていたとなれば事情が違う。
 高橋辰夫氏の婦人、睦さんはスケートの橋本聖子さんの実の姉。1984年、聖子さんの実家である橋本牧場(橋本善吉氏経営)は二度の不渡りを出して事実上倒産。この借金の肩代わりをしたのが最上恒産だと噂されていたのだが、橋本善吉氏はソウルオリンピックの時、週刊文春のインタビューで「最上の早坂太吉氏から26億円借りているが、年利8%できちんと返済している」と答えている。

左から橋本聖子参議院議員、姉の睦さん。右の高橋辰夫氏は1996年の選挙で落選した。写真は1996年1月7日、地元のホテルで行われた新年交礼会で聖子議員は開口一番に「走る広告塔の橋本聖子です」と挨拶した。

 翌年、北海道開発庁が地元のコンセンサスなしに一方的にルートを発表するのであるが、このとき放水路から最上の購入した土地までは400mの距離であった。さらに1990年6月、開発庁は美々川の保全を理由にルートの一部変更を発表。この時点で放水路ルートから最上牧場まで0m。つまり最上の購入した土地のすぐ脇を放水路が通ることになった。
 そして、1992年6月、横路孝弘北海道知事が美々川源流部は残すべき自然としてルートの一部変更を条件に事業推進を事実上容認し、ルートは遠浅川までずらされた。遠浅川のどの部分を通るかによって最上牧場の所有する土地のどこを放水路が通過するかが変わってくるのだが、遠浅川から東になれば再び最上牧場のすぐ脇を放水路が通ることになり、西であれば最上牧場の中を放水路が通過することになる。
 最上牧場にとっては放水路が通過してくれると補償金、また通過しなくても掘削土砂の盛土による農地法除外注2によって第三者に売却できるようになる。現在の最上牧場の経営が誰の手によるのかはともかく、放水路計画そのものがなくなるかルートが大幅にずれないかぎりどちらにしても莫大な金がだれかの元に入ることだけは間違いない。


千歳川放水路ルート変更の経緯

1984年7月 北海道開発庁長官故稲村左近四郎氏注3、千歳川放水路計画を発表
1986年7月 橋本聖子氏の実の姉、睦さんの夫・高橋辰夫衆議院議員が北海道開発政務次官に就任
1986年7~10月 有限会社最上牧場が千歳市駒里の土地を大量に購入(その後発表された最初の放水路ルートから約400~500m)

 

1987年5月 道開発局発行のパンフレットの中で当初三ルートあったルートが東ルートに決定したかのような記述
1987年6月 北海道開発局長が記者会見で放水路ルートが東ルートに決定したと正式に発表
1988年7月 橋本牧場の橋本善吉氏は7月7日付の週刊文春のインタビューで「最上恒産の早坂太吉氏から26億円借りているが、年利8%できちんと返済している」と答えている
1988年10月 最上牧場が最初に購入した駒里の土地から東へ約1.5㌔の土地を追加購入
1990年6月 道開発局、放水路ルートを微調整すると発表(この時点で、最上牧場から放水路までほぼ0m)

 

1991年6月 北海道開発庁・水政課課長の北條氏は注4フライデーの取材に対して、まだルートの変更もありうることをほのめかしている
1991年11月 千歳川放水路建設事業所(北海道開発局)によって「自然探索手帳(美々川の動植物たち)」と題されたオールカラー154頁の観察手帳が発刊され、序文で美々川およびウトナイ湖は渡り鳥の重要な中継地点として重要な役割をはたしているとし、ここでも暗にルート変更の必要性をほのめかしている
1992年6月 横路孝弘北海道知事が美々川源流部は残すべき自然としてルートの一部変更(遠浅川付近までずらすと説明)を条件に事業推進を事実上容認

 



汚職が発覚した
故・稲村左近四郎代議士
1986年4月26日 赤坂自宅前

注1 現在最上牧場の経営者の中に早坂太吉氏の名前はない

注2 1992年6月に行われた千歳川放水路問題検討委員会の席上で早来農協組合長の金川氏が興味深い発言をしている。

 「盛土の件ですが基本的な目的は少し違ったのではないか。これは農地法制約を解くと、いうようなお話も一部出ておりまして、2m盛れば農地法除外というような話が一部の人には入っていた、という主旨からゆくと、農業上の理由というよりも別の目的が関与したのでは…」つまりは、放水路の掘削土砂を農地に2m以上盛土をするとその土地は農地法の規制から除外され農業以外の目的でも転売が可能となる。

注3 稲村氏はその後発覚した撚糸工連の汚職事件で逮捕、有罪となっている

注4 1996年現在の北海道開発局長・北條紘次氏